屋台が怖い
さて、最近はメンタルが余計にやばく、なんというのでしょう、リミットを感じるというか、でもまぁもうリミットなんてとっくに超えているわけですけれども、俺、この先どうやって生きていくんだろうという明確な不安です。 漠然とした不安、とか芸術家な話で例えられたりしますが、私の場合は、明確な不安です。 不安のもとがもうハッキリしています。
もし、宝くじが当たって6億、いや1億でいいです、ワタシの元にポーンと入ったならばワタシの悩みは消えます。 そう、
「ああ、これで一生引きこもって生活ができる。。」
という安心感からワタシのソウルは健全さを帯び、コミュ障でありながらも本当の意味でリア充、な人生を送ることになるでしょう。 暗い。
それにしても暗いな、俺は、と。
ということで本日のお題は「屋台が怖い」です。
落語で「まんじゅう怖い」という話がありますが、それとはまったく別です。あれはトンチ話みたいなもので、悪知恵というか機転の利く男が周囲の人間の嫌がらせ気質を逆手にとり、自身の好物である まんじゅう を恐怖対象とPRすることで周囲からそれを狡猾に獲得するという話です。
が、屋台が怖い、というのは、これはコミュ障気質です。気が小さいのです。
屋台というのは、本文の場合、屋台ラーメンとかそういう食物系を指しますが、なにげに金魚すくいとかの露店も怖いです。
屋台が怖い理由その①
ヤクザ感。
なんか外から見た時に、中にオオカミが舌なめずりをしながら人間を待っているような恐怖感、なんというかヤクザ感があるのです。 入ったら最後、タマとられそうなおぞましさがあるのです。
屋台が怖い理由その②
何を頼んでいいか分からない。
なんかメニューとかなさそうで、いや、だからこそ、そこは店主とコミュニケーションを図りながら最適なものを注文していく、という段取りが必要なのですが、そのやりとりがすでに気後れして、入る前から心が折れるのです。
屋台が怖い理由その➂
相席、いや仮に少人数であっても店主と何か喋らないといけないような気まずさ。
そう、最終的にはこれが一番の恐怖対象ではないでしょうか。 一人でゆっくり日本酒をあおりながらおでんをつまむ、なんていうのはドラマの世界だけで、あれを一人で(というかコミュ障なので一人で入ることが前提)やるというのは、実はものすごく勇気のいることなのです。
以上、屋台トークでした。
ああ、屋台のおでん、食いてぇ。。
・・・どっちやねん!!