成功本やコミュニケーション本をたくさん読んだ結果wwww、意味ないよね。
はい、なんにもなりませんでした。 よってこの手の自己啓発本は意味がなし。 終了。
こんにちは、コミュ障研究家の安倍でございます。
いますよね、努力家の人。
自分の欠点を知り、それを克服しようとして勤勉に努力する人です。
ワタシもその一人で、勉強は苦ではないのです。 いや、厳密には我慢して知識を取り込むことができるというのでしょうか。 やはり、外に楽しみがないので、どうせ暇だからやるか、と打ち込めるのです。 これこそがコミュ障は勉強が得意だったりするロジックの裏付けなのです。
リア充は楽しみがたくさんあるので閉じこもって勉強なんてやってられない、だから勤勉家は少ないんですよね。あ、ただしリア充は基本的に頭がいいので、本気になったらすごい学力を発揮することは言うまでもありません。 コミュ障は生物学的劣性であることに違いはないので、このあたりは思い上がってはいけません。 人生経験を積めば詰むほどリア充には何においても勝てないことを知るのです。
でも、
心のどこかで彼らをバカにしている自分もいることも事実でしょう。 ウィ〜ウィ〜うっせーんだよ、と。
そう思うならもう努力しまくるしかありません。 リア充たちの、人間としての能力値を超える努力をするしかないのです。 もしくは違う土俵で戦うか。 ただし違う土俵で戦う場を選ぶセンスが必要なのはいうまでもありません。 結局むずかしいですよ、と。
そんなふうに思うようになったこの頃、かつてワタシはコミュ障でありながらも必死な勤勉家でした。 たくさんの本に励まされ、
「人見知りの方がうまくいく」とか、
「内気な方が会話上手」とか、
「バカでも稼げる仕事術」とか、
「成功者はこうやる」と
いったような本をたくさん読んできました。
ビジネス本や自己啓発本の類はたくさん読んで来たんですね。8年ほど読んできました。でもワタシ、
10年務めた会社で平社員のままなんですね。 会社にも期待されていないの見え見えなのです。
ただ、サボっているか?というとそうではなく、仕事は一生懸命やるタチなのです。 でも出世しない、これはやはり天性の才能でもあります。
つまり、コイツに任せられないと思わせる才能がワタシにはあるのです。
そして、これは読書などの勤勉によって解決されるものではないのです。
センスや運のあるものが、それをちょっと補強する形で勉強する、それこそが理想の形なのです。
だからバカは勉強しなくてよし。 人生の無駄です。
そのぶん、何をするか?
それは自分が楽しいと思えることに時間を費やすべきなのです。
勉強して、それが無駄だったと思えるほど悲しいことはなく、これは残酷なこの世の摂理でもあります。
だからこそ、どこかで見切りをつける。
あ、もちろん、学生時代は勉強すべきだと思います。学校を卒業するということは選択肢を広げることになるのでムリにでも頑張るべきなのです。
社会人になってからは、もう伸びしろも何もあったものじゃないから好きな事に時間を割いたほうがいいよ、という話でございます。