INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

仕事や学校を辞めたい・・・どこに行っても辞めたいコミュ障

すみません、コミュ障ですみません。悪いのはワタシです、こ、こんにちは、コミュ障研究家の安倍です。

人がいるところにコミュ障あり、コミュ障あるところに人がいる。やはりコミュ障とは永遠のテーマです。こんな奥の深い、いや浅い、いや深い現象があるでしょうか。 本来自然界において本当にコミュ二ケーションというものが必須の能力であるならば、コミュ障はとっくに自然の法則からいって排除されており、世の中リア充だらけでウィ〜〜ってやってるはずなんですね。

でもこうやって生き残っている、それも結構な数のコミュ障が生き残っているということは自然界の法則としてコミュ障も必要であるということでしょう。

 

人がいるところにコミュ障あり、そして人がいるからコミュ障は「辞めたい」

さて、そんな非社会的存在でありながらも現代社会に生きているコミュ障たちですが、そのコミュ障の特性としてあげられることに、「辞めたい」本能があるでしょう。

逆にこれに共感できないアナタは幸せです。 コミュ障でもそれを補って余る幸福を手に入れるでしょう、厳密には手に入れているでしょう。

 

学校に行っては、友達に気を遣い、

職場では、会社の人や取引先に気を遣い、

 

結局コミュ障にとって何が辞めたいって、人間辞めたいんですよね? というのは冗談として辞めたい気持ちが入ったばかりの時からある、これこそがコミュ障なのです。

 

なぜ辞めたくなるのか?その根本の心理とは

そう、学校に行くのも仕事に行くのも全ては義務感から。 〜しなければならないというマインドにとらわれその責務みたいなやつから逃れられないという強迫観念にこそコミュ障の動機があります。

これはコミュ障ではなくともそうなのでしょうけれども、自分が「○○したい!」という気持ちではなく自分の思惑とは別の「○○しなければならない。。」志向で物事に望むというのは、全く取組み姿勢というものが違ってくるものなのですね。

 

簡単にいうと、やりたくてやっているのか、やらなければならないと思ってやっているかの違いです。 そして多くの場合、後者であるがゆえに辞めたい思考が発動するのですね。 つまり我慢の限界です。

 

・・・とここまでは一般論です。

コミュ障にとって上記のモチベーション論なんぞ関係ありません。

 

そうコミュ障にとって大事なのはそのコミュニティ(職場・学校)での人間関係なのです。 学んでいることが楽しい、やりたい仕事につけた、、、

普通は大成功ですよ!そんなラッキーなことはありません。普通の人ならそれだけで十分幸せなのです。

 

 

しかーーーーーし、コミュ障は違う!!

 

何が!?

 

・・・人間関係ですね。 人間関係。 

この人間関係がツラい、というのがちょっとカッコいい愚痴に聞こえるのは学生のうちだけ。 だんだんとそんなのイチイチ愚痴ってるんじゃねー!と社会からは見られるようになるのですよね。 それだけ人間関係の悩みというのはメジャーであり、コミュ障でなくとも悩ましい壁なのです。

ではこの人間関係での悩みってどうなるとモツれるのかということですが、普通はクセのある人間や自分と考え方の合わない人間と付き合う状況が恒常的に続く場合に見られ、これは大体の人が体験します。

 

じゃあコミュ障とか関係ないじゃん、と思うでしょう。

 

違うんです。コミュ障はその感度のハードルがものすごく引くて普通の人が何でもなくやり過ごせるところを気に過ぎて神経質になるんですね。

学校だったら、どうやって休憩時間を潰そうかお昼ごはんはどうやって食べようか。 一人でいたいけど一人でいるところを周囲に見られるのは嫌だ。

職場だったら、今日も上司にどう向き合おう、電話している所を人に聞かれるのが嫌だ、お昼はどうしようとかいろいろと些細な悩みがありますね。 コピーをとりにいくまでの間の動きもどう周囲に見られているか気になる、何も後ろめたいことはないのにオフィスの中での自分の一挙手一投足が気になる狂気の沙汰の領域であります。

 

そう、そしてこの過剰反応こそがコミュ障の辞めたい病の元凶なのです。

いい仕事、いい学校、いいコミュニティ。 そこに行く前にはキラキラとして見えていたはずです。 コミュ障の自分は差し置いてそこでやれたらベスト。自分の望み通り! …でも実際そこに入ると始めに抱いていた幻想は見事に打ち砕かれ、人人人の恐怖に押しつぶされそうになるのです。

 

辞めたい、でも簡単に辞めてはいけない理由

辞めたい

では、どうすればよいのか? いやだから辞めればよいのか? それも一つの手ではあるのですがまずもって辞めてはいけないものがあります。 学校ですね。 

学校は絶対辞めてはいけない

学校だけは絶対に辞めてはいけません。 イジメられてどうしようもない場合や家庭の事情によるものは別ですが、自分の対人耐性のなさを理由に辞めると後々より大きな苦労を背負うことになります。 ワタシがそうです。 専門学校に行っておりましたがワタシはコミュ障による同級生との接触に倦(う)み、勉強するというしんどさ以上のものを毎日感じてその鈍いツラさに嫌気がさし将来も考えず中退したのです。 あとあとすごく後悔しました。 あの時卒業しておけばもっとやりたいことが出来ていた、と。 だから学校だけは辞めてはいけません。 どんなにつらくても人生のうちのわずかな期間、これは耐え抜きましょう。

 

仕事、これはまぁ辞めてもOK

続いて、職場。 これもまたコミュ障にとっては辞めたいパワーを存分に発揮します。

学校以上に発揮します。 学校では年も近く考え方や趣味も似た者が集うコミュニティですが仕事ではそうはいきません。とにかく多種多様な人がいるのです。その中でコミュ障がへばってしまう、そんなの当り前なのです。

 

仕事がツラい、、のではなく仕事場の人がツラいのです。 これはブラックうんぬん以前にホワイトな企業であってもコミュ障はそこに人がいる以上プレッシャーを感じるのですね。 

じゃあ(学校生活は辞めずに頑張ったら)仕事は辞めちゃってもいい? そう思いますね。

正解は辞めてOKです。 ただ30歳までに一生の仕事場にありつくイメージで勝負したほうが楽ですけど。

 

なぜ辞めてOKかといいますと、それは一つ気が付くことがあるからなんですね。

それは

 

結局どこに行っても一緒だ。。。

 

ということです。

そう、コミュ障、いやコミュ障じゃなくてもそうなのでしょうけど、結局仕事というのは少なからずマンネリするものですし、人間関係もどこに行っても似たような環境です。 パワハラ上司がいなくなった、これで明日からラクになるぞーー! と考えていても結局そのパワハラ上司の役を誰かがやるようになるのです。 これはパワハラをする人が代わりにでてくる、という意味ではなくて、アナタにとって目の前のタンコブの人が何らかの形となって表れるということです。

 

つまり、結局そのアナタを囲む環境はあなた自身が作っているということになりますね。

 

こうやってコミュ障の辞めたい理論が確立していくのです。

 

結局どこに行っても辞めたくなるのだからどこかで覚悟を決める

自分が辞めたい環境を自らが創り出している。 まずはそこに気が付けるようになることで、辞めたい耐性がつくようになります。 

あまり説教臭い名言みたいなのは好きではありませんが、結局は自分の環境は自分が作っているものであり、苦手な人は自分が作っているわけですね。

それを悟ることで自ずと強くなれるかと思います。