仕事を辞めたいのに辞めると言えない、勇気がない
コミュ障だと学校や職場を転々と、、というイメージがありますが、意外にも私のような真のコミュ障(人見知りタイプ)は、辞めません。 というより、嫌ということが苦手なので、簡単にやめないのです。 いや、辞めることができない、辞める勇気がないのです。
実は、コミュ障だから誰よりも打たれ弱いため、どこに行こうともその先に人がいる限り、擦り減り、辞めたい気持ちは人一倍強いのに、でも辞めるという勇気だけは人一倍弱く、結局言えずにズルズルと来てしまうものなのです。
なんという葛藤、もどかしさ、惰性、諦め。
こうやっていつしか自分にはどうやら羽ばたく力がないことを悟り、そのまま動けず時間が止まり、職場では窓際、リストラ候補へとなっていくのです。
それでもマジメにやろうともがくと鬱になってしまうのです。
哀れ。
しかし、そもそもの原因を辿るとなんなのでしょうか。
辞めるという行為、これ自体実はとてもエネルギーのいる行為であることをまず認識すべきです。 つまり誰でもをの辞めるという言葉を口にするというのは勇気もいるし、パワーも必要です。 だって上司を呼んで否定の言葉を浴びせるような行為ですから、はなはだ度胸が必要であることは言うまでもないのですから。
でも、人間は判断を誤るもの。時として、入ったコミュニティが自分と肌が合わない、なんていうことはあって当然なのです。
けれども同時に、人間は人間同士で生活をしていくものですから、どこかで折り合いを付けなくては社会では生活できない、つまり我慢が必要であるということです。
ですから、辞めたいという念を抱くのはおかしなことではなく、どこかの折りで「辞めます」というのは自然なことなのかもしれません。
ただこのタイミングが、例えば学生だと、少なくとも高校まではイヤでも卒業しないとあとが大変ですし、大学や専門学校などもまた目的なく、ただ自分には合わないから辞めるというのはあとあと後悔するハメになります。 なぜかというと、目的なくただ嫌だから辞めるという行為、これはどこに行ってもそういう思考のクセがつくからです。
すみません、酔っているので何か論点が整理できなくなってきましたが、問題は辞めるタイミング、というのもあると思います。
ある程度やり切って辞める、これは周囲も認めてくれるでしょうし、次へのステップアップをするために辞めるということでしょうから、これは辞めるといってもよいタイミングであり、コミュ障でも勇気を出していきましょう。
ん?
勇気を出せない?
それは、なんだかんだでまだその職場や学校に未練があるのですよ。
本当に人間が辞めたい時というのは悩みません。
絶対に辞める、そのためにはどう行動すべきか、理性で判断をできないなら本能が出てきます。
例えば無断欠勤してそのまま逃げる、ひどくなると自殺するとかです。 間違っても自殺するなんて選んではいけませんよ。
そう、逃げる、こういう行為。
これは簡単に語られますが、意外と追い込まれた人間が、自分でも信じられないほど暴走して勝手に体が動くような感覚でなされます。自動操縦モードになるのです。 それだけ、人間が本気で辞めたい、もう絶対辞めたいというところまでいくとそう動くものなのです。
ですから、辞めると言えないうちはまだ余裕がどこかにあるということです。