こんにちは、INFP-Tの田中です。今日は、私がこれまでの人生で「天職とは何か」を追い求め、そして迷い続けてきた話をお届けしたいと思います。キャリアの迷子となり、36歳を迎えた私のぼやきです。でも、同じような気持ちを抱えている方に、少しでも共感していただけたら幸いです。
天職探しの迷宮にて
振り返れば、私はこれまで何度も「自分に合った仕事」を探し求めてきました。まるで砂漠で水を求める旅人のように。いや、水ではなく、私が探していたのは「自分にとっての天職」。心から満たされるような仕事です。
けれど、36歳の今、私はこう思います。
「天職なんて存在するのか?」と。
これまでいろいろ試してきましたが、得られたものは喜びよりも、むしろ絶望に近いものでした。たとえるなら、喜び勇んで剥いたパイナップルが、全部芯だったような感覚。期待が大きかった分、その分だけ落胆も大きかったのです。
自己啓発書にハマった過去
かつての私は、「努力すれば道は開ける」と信じ、自己啓発書を読み漁る毎日を送っていました。エリートのように見られたくて、筋トレするかのごとく日経新聞を読み、情報を吸収し続ける日々。しかし、そんな日々は長続きしませんでした。
なぜなら、その努力の先に「自分の本当の幸せ」が見えなかったからです。努力そのものが目的になってしまい、自分を消耗させるだけの日々に変わっていったのです。
行き着いた結論:「天職はニート」
最近、ふと思うことがあります。
「天職はニートじゃないか?」
もちろんこれは冗談です。でも、心のどこかで「何も背負わず、自分の好きなことだけをして生きられたらどれだけ楽だろう」と思っているのは事実です。そして、それが叶わない現実に苛立ちを覚えつつも、何とか耐えているのが現状です。
若い頃の「可能性」と現実
若い頃、私たちには無数の選択肢がありました。それは「可能性」という言葉にも置き換えられるでしょう。しかし、歳を重ねるにつれて、その可能性は少しずつ減っていきます。私の体感では、20代で8割の可能性が消え、30代で9割5分が消えるような感じです。
そうなると、「自分にはこれしかない」という選択肢に向き合わざるを得なくなります。それが現実というものなのでしょう。
それでも生きる意味を探す
そんな中で、私が最近感じるのは、「天職は結果論」ということです。
どんなに情熱を持って取り組んだ仕事でも、最初は苦しかったり、楽しさを感じられないことがほとんどです。でも、そこに少しずつ自分らしさを見つけ、意味を見出していくことが、結果的に「天職」に繋がるのではないかと思います。
私はまだその道の途中にいますが、少しずつ「楽しさを見つける努力」をしていこうと思っています。
最後に
この記事を読んでいるあなたも、もし「自分の天職は何だろう」と迷っているなら、焦らずに考えてみてください。天職は見つけるものではなく、作り上げるものかもしれません。
そして、迷ったり立ち止まったりすることも、人生の大切な一部だということを、忘れないでくださいね。