自粛生活になぜ疲れるのか?
INFPでHSPの田中です。
世の中はコロナ禍で自粛生活に疲弊した世の中をねぎらう風潮がございます。
がしかし、こういう記事を目の当たりにすると、
そういう発想もあるのか!!
と感ぜずにはいられませんでした。
なぜならば、
私は、
自粛生活そのものが羨ましい(現在は会社の都合でコロナ真っ只中の時から出社せざるを得ずの状態です)からです。
実際、仕事が終わった金曜の夜に、
ああ土日も堂々と外に出なくていい理由がここにある、
と、自分を慰めてはいつもの世の中、平常禍とでも表現すると炎上しそうですが、ふつうの世の中を息苦しく感じる身にあっては、
閉じこもれる理由のある世界というのは居心地のいいものです。
ああなんてことを。暗い。
すっかり体の弱り方の次世代を迎え、私は老いを痛感している中、
お酒を飲みたくないのに飲まずにはいられず、、、
というのも、老いはある日突然やってきて、
その日を境に老化したと認める瞬間があるんだと、初めて気が付きました、40歳を迎える年の私です、前厄、ああ、祖先たちはこうやって、体の変化、それも老化の平均をとってそれを厄年としたのでしょう、グッジョブ。
で、何の話だっけか。
自粛生活に、疲れを、、
なさない。
コロナで無惨にひしがれていく世の中を痛快に思うことはないけれど、
こうやって静かに、ひっそりと、静や無に近づく様相に陶酔とまでは言わずとも、おだやかか心地でいられることに、
背徳を覚えつつ、安堵を抱かずにはいられないのでした。
悪い奴だな、自分は。