キャッシュレスやらない派
さあ今日も朝6時起床、7時半出社で夜9時半まで仕事でフラフラ朦朧としているinfp田中でございます。家に10時すぎに帰りつき、そのまま寝ればいいのだけれど腹減ってお酒も飲みたくて、、夜遅くに食べて飲んでなんて、体に負担がかかってる感じがもう絶望感です。
社長になるんだとコミットしたのにもう挫折しかけており辞めたい辞めたい辞めたい助けてくれと日々をすれすれで生きています。
はいさんざん愚痴って、心入れ替えて、、
さてそんな私は
トレンドに疎いです。
今日はキャッシュレス支払いをしない私を、周囲が不思議がっていました。
損しすぎ、バカなの?となじられる感じがまたなんとも情けないのですが、私はどうやらお金持ちになりたいのに、実際は生々しい現実味を帯びない(金持ちになりたい)欲求のようで、こういう日々の節約みたいなことに興味を覚えないのです。
むしろ貧乏人たる私こそキャッシュレス支払いで、諸々のキャンペンなどで節約して切り詰めなければならないのでしょうけれども、どうやらそういうことに興味がなく、ただただ日々の請求を甘んじて受け入れているようでした。
そして金がないと嘆いては、自身を不甲斐なく感じ、日々の晩酌代にすら財布に入っているお金に不信感をいだき、昨日たしか千円入っていたはずという確信すらレジに立てば夢かうつつかの淡い精神世界へと心が旅立っていくのでした。
キャッシュレス、それは2020年にあっては現実に50代の人も前のめりに検討する案件の中、私は疎く、頑なに現金派であり、細々と1円を財布の中から所せましを指を小器用に動かしては、遠く及ばないキャッシュレス払いのスムースさに、時代変遷の反抗を身に、心にまとっては、その不器用さをどこか高尚な道徳観をもって、自分を慰めるのでした。
でもいづれ、、、
私もまたそのキャッシュレスの波にのまれるのでしょう。
私にとって、そういう新しい技術を取り入れることは、さほど苦手なことではありません。その気になればキャッシュレス生活もまた私の心に浸透することかと思います。
だがしかし、その変化をどこか自分を失っていく過程のような、、
妙なプライドが邪魔して、進展を拒んでいるのです。
ああ、本当ならただでさえこの世を生きづらく感じている身分でありながら、日々を簡素化することは第一義のような気がするのですがそういったことを先延ばしにして、何なら忙殺されている日々を言い訳にして問題解決に着手しない自分を、遠巻きに、
卑怯なやつだ、、
とさげずんでは情けなくなるのでした。