職場になじめない、溶け込めない
こ、こんにちは。コミュ障管理人です。マジ、精神やべぇ。
さてと、職場、これはコミュ障にとっては恐ろしい、、というか人のいる場所はどこでも怖いものなのですが、とくにチームワークが求められる職場というコミュニティは、苦手極まりないはずなのです。
苦手だぜぇ。その場に行く前から重苦しい気分になり、
慣れたら慣れたで、どういう展開になり、その時に自分がどんな地獄の気分を味わうかがハッキリと予見され、ギョッと戦慄を覚えるようになるのです。
もう、辞めようぜ。
なんというか、そう思うってことは、簡単な話でその場が自分にただ合っていないだけなんですよね。それを無理して、苦心の美学というか、無理して合わせることに変な努力をして達成感を感じるという、これって違うと思うのです。
本来、人間がこんなに多様性をもった性格である理由は、それぞれが違う分野でここにその能力を発揮してお互いに社会の欠陥またはニーズの余地を補完しあうことによって成り立っていくものなわけですから、そもそも、同じ集団で形成されていくべきだと思うのです。単純な話、合わないコミュニティに属しているほど無駄なことはないと思うのです。
でも、自分はどこに行っても合わなくて疎外感を感じている、、なんて思う方もいるでしょう。
しかし、この世には必ずと言っていいほど自分と同じ存在が一定数おり、自分だけが驚くほど珍しい存在であることなんてほとんどないのです。
ということは!
そう、何のために生まれているかというと、それぞれの、強みとまではいかなくても特性を生かしてその力を社会に生かそう、つまり仕事をしようというものだと思います。お互いに助け合わないと世の中は成り立たないわけです、みんながみんなお殿様になってしまうとだれもご飯を作れず飢え死にするように、それぞれがその持ち場で力を発揮してこそ社会は成り立ち、また、逆に言えばその持ち場は多様性に富んでいますから、自分がその職場になじめる、溶け込めるという居場所を見つけるべきなのでしょう。
これは必ずあると思います。
ワタシも職場を転々として行く先々で「職場になじめない、溶け込めない」という苦労をしていますが、その原因は、ワタシが、
等身大の自分による職場選びではなくて、どこかコミュ障ではない自分に成りたいという願望から、無理して、自分の性格より華やかな場所を選んでしまうからだと、
だから、その根本の精神の部分で自分で向き合わないとまず、自分にあったコミュニティには巡り合わないと思います。
ズバリ、ワタシの場合は、どの職業がいい、というよりも、性格からすると、誰にでもできる仕事を淡々と耐えながらこなす職場が向いているのです。
古代文明に例えると、ピラミッドの石を運ぶような仕事です。 これを黙々と文句も言わずこなしていくのが性に合っていると思います。 それは、頭脳が言い悪いではなくて、魂の職業レベルでの話です。
ワタシも決して学力が低いわけではなく、どちらかといえば高いほうなのです。地元では誰もが認めるような優秀校の出ではあり、いわゆる、決まった答えを教えられた通りに解決しておくことは得意なのですが、社会に出て機転を利かせながら、ひゅるひゅると身を翻しながら臨機応変にうまく渡っていく力はないようで、多勢に埋もれるタイプなのです。
で、
こうやって細々とブログを書いていますが、こういうブログもまた、やはり一向にヒットせず、書いても書いてもアクセスが伸びないという、まるで三途の川でいくら積んでも報われない賽の河原のような状況で、いや、むしろ、ワタシは今、過去の罪障を消滅させるべく修行しているのではないかという、この定めをひたすらに淡々とこなしているような心境なのです。
なんか、話が突飛しましたが、
でも、少なくとも言えることは、同じレベルの人達はこの世に階層的に存在するものです。そもそもそれを上下概念で例えるのはどうかという意見もあると思うので、ここでは言い改めて、同じ波長を持つ人たちが別個に存在するものだと表現しましょう。
つまり、
その安楽の場で、ある同じ波長を持つ人たちがいる場所に行くことが一番の幸せなのでしょう。そこが、職場になじめる、溶け込めているという世界なのだと思います。
合わせるのではなくて、合う場所を探す。
そのためには、
ずばり、本当の自分に気が付くことです。
でもそれが分からないから皆苦労する。でも本当は皆自分で分かっています。ただ見栄を張って、憧れと得意なこととを混合して間違えているだけなのです。