こんにちは、INFP-Tの田中です。人生には予期せぬ試練が次々と訪れるものですが、40歳の厄年ほどその「試練」が際立った年はありませんでした。厄年というと漠然とした不安や迷信と思われる方も多いかもしれませんが、私の体験はそんなイメージを超えたものです。ここでは、私自身の壮絶な一年間を通じて見えたものをお伝えします。
厄年のはじまり:予兆の連続
年が明けた直後、世間を覆ったのはコロナ禍の影響でした。これは全人類が直面した問題ですが、私の場合は仕事に直撃しました。社内で唯一の担当業務が、パンデミックの影響で大きく揺れ動き、突然「お前の責任だ」と怒声を浴びる日々が始まりました。
職場では毎日のように詰められ、怒鳴られ、逃げ場のない状況が続きました。転職活動を試みるも、年齢や条件が壁となり、全く進展しない日々。心身ともに疲弊する中、「これが厄年というものか」と実感せざるを得ませんでした。
神頼みの厄除け…しかし
「これ以上は耐えられない」と思い立ち、少ない貯金から5000円を捻出して初めて厄除けをしてもらうため神社へ向かいました。しかし、儀式を終えた帰り際、手渡された袋を開けてみると、肝心のお守りが入っていないのです。この偶然は、運命の皮肉を感じさせました。「厄除けすらも失敗する私って…?」と、心が折れそうになりました。
家庭にも広がる厄災
職場での苦悩が続く中、家庭にも暗い影が落ちました。妻は腰のヘルニアを発症し、小さな娘は難病の疑いで入退院を繰り返す日々。私自身も病院の簡易ベッドで寝泊まりする生活が続き、身体も心もボロボロに。気付けば、私の厄年は家族全体を巻き込む規模となっていました。
日々の出来事が刺さる
厄年の災厄は、それだけでは終わりません。直近では両足の爪が同時に炎症を起こし、歩くことすら困難に。まるで「ここまで来たら何でもアリか」と思わせるほど、次々と問題が降りかかります。私は日々の苦しみの中で、自分の生き方を問い直さずにはいられませんでした。「前世でどんな悪いことをしたんだろうか?」そんなことを考えずにはいられないほど、重くのしかかる毎日です。
厄年を通じて見えたこと
しかし、このような災難の連続を通じて、一つの真実が浮かび上がりました。それは、「自分だけでは乗り越えられない苦しみも、誰かと共有することで心が軽くなる」ということです。妻の励ましや娘の笑顔が、私の毎日を支えてくれました。また、神頼みや目に見えない力への信仰が、心の拠り所になりました。
今振り返ると、厄年を完全に克服したわけではありません。しかし、苦しみの中で得た気付きや家族の絆は、今後の人生において重要な財産となるはずです。
厄年を生き抜くあなたへ
もしこの記事を読んでいるあなたが厄年や困難に直面しているなら、一つだけお伝えしたいことがあります。それは、「どんなに苦しくても、歩みを止めなければ必ず出口は見えてくる」ということです。苦しみの中にあるときには、それが信じられないかもしれません。でも、小さな一歩を積み重ねることで、必ず何かが変わります。
私は今も厄年の真っ只中にいますが、日々の生活の中に希望を見出しながら生きています。そしていつか、この経験が誰かの助けになればと願っています。人生は決して簡単ではありませんが、それでも前を向いて進む価値があると信じています。
あなたの明日が少しでも明るくなりますように。