ああ、嫁選びもまた自分の責任
INFPゆえに、だなんていうつもりはないのです。
ただ私は、子供たち(10歳の女の子と4歳の男のこ)をひたすら叱りつづける妻に、
「専業主婦」で昼寝もしっかりできる環境にある中、
世の中の専業主婦が楽だということではありません。また私の主婦が怠けているというつもりもありません。
ただ、だらしなく贅肉を蓄え、それでいて自分は家庭の苦しみを一手に背負っているような態度が、私の神経を刺激するのです。
朝は6時前に起きて、7時半には出社し(定時は8時半)、帰りは20時半(定時は17時半)、しかもサービス残業、あと休憩時間という休憩はありません。 つまり13時間をぶっ通しで働いている中、帰って束の間のひとときの安らぎすら、まるで豪遊しているかのように映るらしく、
ひたすらに私を奴隷のごとく使い倒そうとし、嘲(あざ)けります。
ああ、休むことすら許されない。
神よ、これは罰なりや?
すみません、できるだけ他人には迷惑をかけないように生きてきたつもり(身内にはさざんざん迷惑かけました)ですが、私は罪深き人間なのでしょうか。
もし私を裁くならばいっそのことズバッと一息にやってください、こんななぶらないでください、いやゴメンナサイ、その瞬殺される一瞬の過大な痛みにすら私は耐えられそうにありません、楽に生きたい、だとすると、私の業を返すことがこの日々のマイルドかつヘビィな苦しみなのでしょうか。
最近は、体にも変調が現れ、胃が痛いです。
胃が痛いだなんて、
昭和的な表現だと思っていました。過去の遺物、胃物。
でも日々、精神的に苦しんでいるとやっぱり体にくるのは紛れもない事実のようです。
胃に穴が空きそう、、という表現をします。
実際には胃には痛みを感じる神経が繊細には通っていなくて、痛みを感じるまでになってしまうとすでに遅い、、だなんていいますが、
男39歳、今年40歳を迎える身になって、
過去言い古されてくだらないと思っていた、下世話な表現、
胃が痛い、、
が身に染みてわかるようになったのです。
胃が痛い、しかも胃の上だったり、腸に近いところだったり日々変わっていて、もしかすると猿轡(さるぐつわ)やハチの巣のように、胃がぼこぼこに穴通しになっているのではないかと、ざわつくのでした。
でも、(すみません、なんか脱線しました)
そうやって家庭でもくつろげない、それは嫁のせいか?
違う、
選んだ、それを選んだ自分に責任があるのでしょう。
結局魂のレベルがそこにあるからそれを引き付けるわけで、選んだ自分を結局はせめるしかないのです、行き場のない怒り、やるせなさ、端的にいってストレス。
だがしかし、受け止めよう。
こうしてテキストとして書きなぐり、私は前へ、進むのです。
明日も、今日もコピペかもしれません。同じように苦しみ、同じようにわだかまる。
でも、それが、、
結局は生きているということなのかもしれません。
そして、こうしている今、胃は痛い。