INFP型・HSPのブログ

MBTi診断INFP型でHSP、40代家庭持ち営業マンの日記

誰を幸せにしたいか

他人の不幸をどこか喜ぶ、ひん曲がった性質のある私に欠けているのは、誰を幸せにしたいか、という至極当たり前のことだと考えています。

本来人間が本能的に持っている、他人に施して歓びを得るという社会的な性質が私にはいささか不足しているようで、おそらく、こうやって人生が上向いていかないのもそういう悪魔的な魂胆がドスッと心の奥に潜んでいるからだと思っています。

人は誰かを幸せにするために生まれてくるのだと思いますが(その根拠は証明できませんが)、私にはそういう余裕がないのか、はたまた根性がひねくれているのかで、どうやらそういう優しさは持っていないようです。表面上はあっても、打算的で、こう見せることでこう思われたい、つまりよく思われたいという八方美人の呪いが私を包んでいるようです。

人の不幸を確かめることで自身の幸福を相対的に得ようと、、そういえば新聞やニュースを見ても悲観的な記事ばかりが目について仕方ないのは、私のそういう悪い癖が原因なのかもしれません。

人間が本来持っている、誰かを幸せにしたいという本能が欠落している私、だからこそ充足感を得られず絶えず苦悶しているのだと悟るに至ったのです。

自身の保身のために飾った優しさではなくて、山から涌き出る清水のように自然と澄んだ流れで誰かを幸せにしたいと願い、それを行動に移し、そして満ち足りる心を持ちたいものです。

私自身、決して他人からの愛が不足して生きてきたとは思っていません。(人相応の待遇で生きてきたと思っています) それなのに、何を憎んでいるのか、他人の幸せを願い切れていないこの無慈悲さに、、、

それほど自身でショックを受けていないことにショックでもないことに、ショックで、もない、このマトリョーシカのような徒労感に、ただ虚しいのです。